世界を変えたサンディエゴの人々(その1)

世界を変えた、といってもいろいろな意味がありますね。政治家のように歴史を書きかえた人、新しい技術を開発して産業を変えた人、新しい発見や発明で暮らしを豊にした人、などざまざまです。イノベーターですね。

サンディエゴにもそのように「世界を変えた人々」がいます。サンディエゴで若い時から活躍した人もあれば、晩年をサンディエゴで過ごし、それまでの仕事の集大成を遂げた人もいます。サンディエゴの地元紙のThe San Diego Union Tribuneが、これらの「世界を変えた」サンディエゴの人々の特集をしていたので、その中から代表的な人々をリストアップしました。1回では投稿が長くなりすぎてしまうので2回に分けてお送りします。

Francis Crick (8 June 1916 – 28 July 2004)
Crick博士についてはご存知の方も多いと思いますが、James Watson博士とともに遺伝子DNAを発見し、1962年にノーベル医学生理学賞を共同受賞した人です。DNA発見の研究は1952年にイギリスのケンブリッジ大学で行われましたが、その当時Crick 博士は30代後半、Watson博士は20代前半という若手研究者でした。Crick博士は1960年からサンディエゴのソーク研究所で研究員を勤め、2004年に逝去するまで多くの弟子を育てました。また、ソーク研究所の同僚やCrick博士の共同研究者からもノーベル賞受賞者が輩出しています:Sydney BrennerDorothy HodgkinDavid BaltimoreRenato Dulbeccoなどが特に有名です。(敬称略)

Irwin Jacobs (October 18, 1933 ~ )
Jacobs氏はサンディエゴでは知らない人はいない、エンジニア、実業家、篤志家です。UCサンディエゴ工学部の教授時代から通信関連のベンチャーを数々立ち上げ、そのうちで最大の成功を収めたのがQualcomm社です。今では全世界の4G LTE携帯電話のChipの65%はQualcomm社製といわれています。Qualcomm社の会長時代から、また、引退してからもサンディエゴで篤志家としての活動には尊敬に値するものがあります。UCサンディエゴの工学部の支援(Jocobs Engineering Schoolと名称が変わりました)、医学部に新しくできる病院はJacobs Medical Centerと命名されますし、1990年代末に破産しかけたSan Diego Synphony Orchestraの救済として$100mmの寄付をするなど、特に教育、芸術面でサンディエゴへ大きな貢献をされています。

Charles David Keeling (April 20, 1928 – June 20, 2005)
Keeling博士は、1956年からサンディエゴのスクリプス海洋研究所(UCサンディエゴの海洋学部)で研究を始め、1958年からは大気中の二酸化炭素のレベルを経時的に測定(Keeling Curve)、1998年には40年間の計測結果を発表し、大気中のCO2の増加とその温室効果によるGlobal Warmingについての警鐘をならしました。 その後環境問題の認識と対応への大きなきっかけになったのは皆さんご存知の通りです。

Harry Markowitz (August 24, 1927 ~ )
皆さんは投資のポートフォリオ理論というのはご存知ですか? 端的にいうと、リスクを分散して投資をするのがいいということで、今ではどなたでもポートフォリオ投資をしていますね。この理論を数学的に立証したのがMarkowitz氏です。主な業績は彼がYale大学とCity University of New Yorkに在任中の研究に基づいたもので、1990年にはノーベル経済学賞を受賞しています。現在はサンディエゴに在住で、UCサンディエゴのRady School of Managementで教鞭をとられています。

Theodore “Dr. Seuss” Geisel (March 2, 1904 – September 24, 1991)
Dr. Seussはアメリカでは定番の児童絵本作家です。日本でもご存知の方が多いかもしれません。韻を踏んでリズム感の良い文章と、愛嬌のあるキャラクターがトレードマークです。1948年からのサンディエゴ市民で、絵本の執筆と同時に篤志家でした。UCサンディエゴ内の中央図書館はGeisel Libraryと名づけられています。

Ray Kroc (October 5, 1902 – January 14, 1984)
Kroc氏の名前を聞いてもピンとこない人は多いと思います。ハンバーガーのマクドナルドの創始者、といえば、「あぁ、そういう人か」、とわかりますね。Krocさんなのになんで「マクドナルド」なんだろう、と思いませんか。Krocさんはハンバーガーショップのメニューの定番の、ミルクセーキ(Milkshakeとアメリカではいいますが)の機械のセールスマンでした。その仕事でカリフォルニアのBakersfieldという町にあるハンバーガーショップ、「マクドナルド」に立ち寄ったのです。このバーガーショップは、まるで組み立て工場のような無駄のない流れ作業でどんどんハンバーガーをつくり、待たせずにお客様に出しているということで有名でした。KrocさんはオーナーのRichardとMaurice McDonald兄弟からそのノウハウを教えてもらうことと、自分のバーガーチェーンを「マクドナルド」と名づけることの了解を取り、パートナーとして1955年に現在の「マクドナルド」の事業を始めたのです。そのときKrocさんは52歳でした。晩年は奥さんのJoanさんとともに篤志家として、糖尿病、リウマチ、多発性硬化症などの研究に多額の支援をしました。また、1974年から亡くなる1984年までプロ野球チームのサンディエゴパドレスのオーナーでした。